【高柳明音インタビュー】デビュー15周年!SKE48時代から“転機”を振り返る「挫折があったからこその物語なのかなと…」  11月には卒業後初のソロコンサート開催

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高柳明音
高柳明音

3月29日、SKE48の二期生オーディションに合格してから15年を迎えた高柳明音さん。17歳でSKE48に加入し、中心メンバーとして活躍、現在は女優として舞台をはじめコンスタントに活動を続けるが、ここに至るまでにはさまざまな転機や葛藤があったようだ。この15年を振り返りつつ、高柳さんの“今”のメッセージを届ける。

--デビュー15周年、おめでとうございます!

「ありがとうございます!」

--15周年ということで、今どんな感じですか? あっという間だった、それとも長かった?

「あっという間ではなかったですね。最初の頃のこととか鮮明に覚えているように思えて案外覚えていないこともあったり。15年って結構な長さだなと思います。でもSKE48にいた12年間はあっという間だった気もするけど……。東日本大震災があったり、コロナ禍があったり……、いろんなことがあった15年でした」

--15年前ということは高校生?

「そうです、17歳で入りました」

--オーディションに受かった日が3月29日ということで。

「SKE48の場合、一期生は劇場デビューの日を周年の節目にしているんですけど、二期生はオーディション合格日が一番鮮明に残っているので、毎年二期生公演は3月29日にやっていました。ほかに、お披露目の日というのをデビュー日にしている期もありましたが、私たちはあんまりがっつりお披露目の思い出がなくって……。なのでオーディション合格日にしているのかもしれないです」

--高柳さんはSKE48以外にもオーディションを受けた経験は?

「いえ、SKE48が最初で最後ですね」

--もともとアイドル志望だったんですか?

「そうですね、アイドルになりたかったのもありましたけど、もともとアイドルが好きだったので。アイドルを見ていて“可愛いな”とか“キラキラしてて元気もらえるな”と思って、そういう存在に自分もなれたらいいな!と思ってオーディションに応募しました。あとは地元・名古屋にアイドルグループができたというのは大きかったです。AKB48の姉妹グループ第一弾を愛知県、名古屋に選んでもらったのは感謝です。そうじゃなかったらアイドルになってたいなかったかもしれません」

--そういうタイミングってありますよね。

「愛知県内だったら親も許してくれると思ったし、一人で上京するとなると……。当時は一人で電車に乗って出かけるということもあまりなく、愛知県外にほぼ出たことがなかったので、心配して多分OKしてもらえなかったと思うので……」

--そして見事合格し、二期生として加入するわけですが、まだその段階ではSKE48はCDデビューもしていなかったんですよね。

「はい。チームSという先にできていたチームがCDを出すと聞いて、“すごいCDデビューするんだ!”と言ってたのを思い出します」

--当時はAKB48も世の中的にまだブレイクまで至ってない感じでした。

「『大声ダイヤモンド』の発売から少しして二期生のオーディションがあって、AKB48の人気にちょっと火がつき始めたころで。でも、まだ私の周りにAKB48を知ってる子はいなかったです」

--『大声ダイヤモンド』のジャケットに松井珠理奈さんがソロで登場して話題になってましたね。

「そうです、そうです。それでSKE48の存在も知られるようになって」

--オーディションや加入当時はやっぱり不安などありましたか?

「いろんなことがまったくわからなかったので、今だと当たり前に“なになにグループ何期生”というのもありますけど、何期生というのもわからないし、AKB48さんの存在は知っていたんですけど、ただアイドルになりたいという思いで入ったので……。ただキャピキャピ、きゅるるん!というイメージでは自分はないので、SKE48の汗をかきながらがむしゃらに踊っている姿を見て、このグループに入りたい!という思いはあったので、そういうグループなら……とオーディションを受けました」

--SKE48って当時から汗をかいてがむしゃらというイメージ?

「そうです。地元の番組で、一期生オーディションを追ったドキュメンタリー番組があって、二期生オーディション開催というのもテレビで知って。一期生の方が劇場公演で踊っているのを見て、すごい、私のアイドルの概念にあった“きゅるるん!”じゃないって。キラキラしているんだけど、がむしゃらな感じで。自分は陸上部、体育会系で育ってきたので、そういうところがいいなって思いました」

--地元でアイドルグループ始動というのと、グループのがむしゃらな個性がうまくハマって、高柳さんのアイドルデビューに繋がったんですね。

「そうですね。周りにアイドルになりたいという話もしたことがなかったですし、当時、“あの子めっちゃきゅるきゅるしてるじゃん”って言われるのがなんかちょっと恥ずかしいなと思っていたけど、このグループならがむしゃらに踊って歌ってというアイドルで、恥ずかしくないかなと思いました。でも自分自身はきゅるきゅるしてるアイドルが大好きだったのですが、そんな自分がやるのはどうなんだろうというのがあって。今も変わらずきゅるきゅるアイドルが大好きですけど(笑)」

--高柳さんが見ていた当時はモーニング娘。の黄金期くらい?

「そうです、そうです。モーニング娘。さんやその派生ユニットが大好きでした! ミニモニ。や辻(希美)ちゃん加護(亜依)ちゃんとか」

--モーニング娘。は小さな子、女性など幅広い人気がありましたね。

「私の周りの子もみんな好きでした」

--AKB48の柏木由紀さんも、石川梨華さんを中心に当時のモーニング娘。が大好きだったと言ってますね。

「そう、柏木さんは同い年だから。柏木さんは同い年の星ですね。アイドルを貫いておられて。私はアイドルという職業ではなくなってしまったんですけど、できることなら永遠にアイドルをしたかったくらいアイドルが大好きだったので、柏木さんが卒業されてもアイドルでいるっていうのは、本当にかっこいいなと思います」

--高柳さんの場合、柏木さんのように、あざとかわいい系の振る舞いは得意ではなくても、自分は自分らしく、と。

「そういう王道なキラキラ可愛い、ちょっとあざとい、みたいなのも憧れたんですけど、やっぱり無理が出てくるんですよ。12年やってたので、途中でやっぱり無理だなと(笑)」

--初期はそういう路線にも挑戦はした?

「最初は王道をやってました(笑)。やっぱり需要があるじゃないですか、“可愛い、守ってあげたい”というキャラって。でも無理しすぎると、やっぱりどこかで矛盾が生じてきちゃったりして、自分を苦しめちゃうことになるので……。それに、だんだんファンの人と距離感が近くなってくると、自分をさらけ出せるようになってくるというか、アイドルとして作るというより、人間として成長する過程で、“きゅるきゅる”は目指せないなと。年下メンバーもどんどん入ってくるし、あと環境もありますね。私17歳で入ったんですけど、今だったら17歳って若手できゅるきゅるしてていい年齢だけど、私が入ったときって珠理奈さんが12歳くらいで、年下メンバーが“可愛い”、年上が“まとめる”とか“引っ張る”とかそういう役割が強かったので、同い年で松井玲奈さんがいてしっかりしてたので、自分が同い年できゅるきゅるしてるというのは想像がつかなかったですね。12歳とかで入ってたらそっちに振ってたかもしれない(笑)」

--やっぱり自分のキャラはこっちかな、というのは17歳で入っていつくらいに思いましたか?

「わりと早い段階ですね。スタッフさんたちにも『明音がしっかりしてね』と言われていたこともあって」

--2年目でチームリーダー(チームKII)を任されてるんですよね。

「そうです。デビューしたときにはもう真ん中くらいの年齢で。メンバーには11歳から22歳までがいて、私が17歳で。スタッフさんから『上の世代と下の世代を繋ぐ存在になってほしい』ともいわれたし、最初に選抜入りさせてもらった『青空片想い』から松井玲奈さんと二人で最年長だったので、もう大人にならざるを得なかったですね。今ってアイドルグループに25歳以上のメンバーがいるのがわりと珍しくなくなってきたので、17歳って全然甘えていい歳なんですけど(笑)」

--もともとダンスや歌の経験は?

「ないですね。ダンスは地元で、ちょっとみんなで踊るみたいな。歌も、カラオケとかほとんどいかなかったし、人前で歌うのが恥ずかしくて……」

--SKE48でも年下や後輩でもダンスの経験がバリバリある人もいたのでは?

「珠理奈さんとかそうだし、同期だと、今唯一の現役の斉藤真木子ちゃんもダンスをバリバリ踊れる子だから、オーディションのとき『この曲を踊ります、これから何時間で覚えてください』と課題があったんですけど、すぐ覚えていたんじゃないかなと思います」

--最初の頃は選抜に入れてもついて行くのに大変だったのかも。

「でも覚えるのは苦手ではなかったので……。ダンスもそんなに難しい内容ではなかったですし」

--そういう面で苦労はなかった?

「でも、苦労したことがなかったわけではなく……。急に『青空片想い』で選抜メンバー7人のところに入って、“この子が選ばれてよかった、納得”と思ってもらえるように、誠心誠意取り組まなければと考えました。最初はわりとがむしゃらでしたね。でも、とにかく楽しもうと思いました」

--それにしても、経験が浅い中ですごいです。

「秋元(康)先生が選んでいただいたと思うんですが、なんで選ばれたのか聞いたことはなく不思議でした。最初7人と聞いたとき、よくわからなかったんです。AKB48は知ってたけど、選抜が、とか、ちゃんと知らずに入ったので……。7人というのは48グループの中でも唯一の形だったんじゃないかなと思います。最小人数選抜だったんじゃないかなと。選んでいただいて、ありがたかったです」

--高柳さんは入ったときから正規メンバーだった?

「正規メンバーでも、研究生でもなく、“二期生候補メンバー”という形でした。入ってすぐくらいにSKE48のコンサートが決まって、一期生の方のバックダンサーをやったり、二期生は3、4曲歌ったりとか」

--48グループといえば握手会ですが、メンバーになった頃って戸惑いとかなかったですか?

「握手会って何をやるんだろうって、なんにも知らなくて。最初の頃の握手会はみんな横並びの形だったんです。メンバーが10人くらい並んで、ファンの方がどんどん流れていく。SKE48劇場があるサンシャイン栄のグランドキャニオン広場という地下の広いスペースで。握手会って、自分のレーンがあって、そこにファンの方が並ぶというイメージですけど、昔は全員で横並びでした。よみうりランドとか誰でも見れる場所でやったこともありました。握手して、“来てね〜”ってみんなに手を振ったり、自由な雰囲気がありました。みんなでワイワイしていて。一人一人の戦いという感じはありませんでした。ですが、いつからかだんだん握手会って戦いの場になっていって……」

--一人一人のレーンになって。

「それで、どれだけ並んでるとか何枚売れてるとか見えるようになって、あれは心苦しかったですね。感謝を伝えたい場なのに……。ファンの方も、会いたい分だけ会いに来てくださっていたのであればいいんですが、ほかのメンバーのファンと競わせているんじゃないか、無理させてるんじゃないかなとか、心苦しく思うこともありました。自分の思っていたアイドルというものはそういうものではなかったので、ちょっとイメージとのギャップはありました」

--そういう競争で追い込まれるような気持ちも?

「そもそも知らなかったです。モーニング娘。さんが好きで、アイドルに憧れたんですけど、あのときってテレビ観てて自分の好きな推しのメンバーが映ったら、“ああ可愛い”って純粋に思っていて、メンバーの中でセンターとか序列とかってわからなかったですね。でもモーニング娘。の卒業生の方が『あのときあの子が急にセンターになっていろんな葛藤があった』という話をされていたのを見て、やっぱり知らないだけで、そういうものはあったんだなと思いました。子どもの頃はそういう裏も見えず、ただよくテレビに映る人気メンバーを好きになっていたのかもしれません」

--ただ辻さんや加護さんを見てるだけで幸せで……。

「生写真とかめちゃめちゃ買ってたし、そこにいること、その写真に写っていることが全てでした。ポジションとか全然意識したことがなかった。自分が入って“アイドルってポジションがあるんだ”ってことを初めて知りました。でも最近入ってくる子って、それが当たり前にあって。AKB48選抜総選挙もずっと見ていた子たちで、握手会が当たり前のようにあって、なんか戦い方を知ってますね(笑)。もともと“握手会に通ってました”という子も入ってきたりするので」

--ブレイク後に加入したメンバーには元ファンだったという子も多いでしょうね。

「私は何も知らなかったので、“ああ、そうなんだ”って思いますね。“握手会では毎回コンセプトを決めて”と10代の子が言ってたりするのを見てると、“そんな戦い方知ってんの?”って(笑)。最初は私たち私服じゃなくて、衣装で握手会に参加していたので、今私服になって大変だなと思うんですけど、その上でみんなしっかり考えてるなと思いました」

--レーン制の握手会になったときは、高柳さんはすでに選抜に入っていたから、自分のレーンだけ人が少なくて悔しい思いをしたというような経験もなく?

「とにかくその頃はSKE48の人気がすごかったから、ありがたいことにあまりなかったんです。ただSKE48の人気の停滞期もあって、その時代にずっと握手をしていた方が途絶えたりすると、ちょっと悲しくなったりしていました」

--SKE48にも停滞期ってあったんですね。

「選抜のメンバーが一気に卒業した時期だったり、新しいグループがどんどんできてきた時期、NMB48、HKT48、そして乃木坂46ができて注目されていくと、いろんなグループにファンが散っていって。その前は、AKB48からSKE48に来てくれた方もいたんですが……。アイドル戦国時代と言われて、いろんなアイドルが出てきて、SKE48からほかのいろんなアイドルに行ったファンの方が多くなった時期とか。SKE48もどう戦えばいいかわからなくなっていたときに、やっぱり最初の勢いがちょっと落ちてるなとか、そういう実感がありました」

--そういうちょっと落ち込んだり、また浮上したり、というのもありつつ、SKE48は数あるアイドルグループの中ではトップクラスの人気を続けていました。そして高柳さんは年齢だけでなく、キャリア的にもメンバーを引っ張る立場となっていきます。

「自分的にはアイドルが好きでアイドルをずっとやっていたかったのですが、途中から支えることとか、まとめること、教えることが多くなって、自分がアイドルをやっているというより、アイドルにアイドルを教えるとなったときに、やっぱりちょっと違うなと思って卒業を考え始めたんですけど、でもそれを考えていたタイミングでNMB48との兼任が決まって。そのときに初めて教えてもらうという立場になったんです。みんなにNMB48の曲だけでなく、“NMB48とは、NMB48のファンとは”ということをたくさん教えてもらって、そのときに久々に自分ががむしゃらに楽しめるアイドルを思い出して……。で、そのあとSKE48が10周年となって、10周年はお祝いしたいですし、その次に2期生ももうすぐ10周年だし、それまでいようとなって、今度こそ卒業しようと思ったらコロナ禍になって、どんどん先に延びていきました(笑)」

--総選挙は堅調な動きを続けていたようですが……。

「いや、順位が落ちたこともあります。ありがたいことにアンダーガールズ(17位〜32位)までにはずっと入っていましたが。自分の中で思うようにアイドルができないと思って、やめようと思ったときに、前回で“もう総選挙はいいかな”と言っていて、だけど兼任が決まり、自分が“NMB48でもやってます”というアピールできる場を自分で削るのってどうなんだろうと思ったり、またいろんな人にめちゃくちゃ説得されたこともあって、泣きながら『うっ、やっぱり今年も出ます』って言って(笑)。ファンの方たちは“昨年で最後って言ってたじゃん(笑)、準備してないよ”という感じになって、その年に落ちてしまったんですけど、そのときに、急に出るって言ったのにアンダーガールズまで頑張って押し上げてくれたファンのみんなを裏切れないなって、すごく申し訳なく思って。でも、あれがあったから今のみんなとの絆があるなと思ったので、その次の年に“やっぱりやるからには選抜を目指す”と頑張ってくれて、AKB48の選抜に入れたので、物語といったらあれですけど、挫折があったからこその物語なのかなと思います」

--もしかして、最初のすごく勢いのあるときについたファンの中には、また新しい人が出てきたらあっさり移っちゃった人もいるかもしれませんが、そういうピンチのときを……、

「乗り越えた!」

--一緒に体験したファンの思い入れは、

「強いです! みんな今でも来てくれるし!」

--ファンと直接会えるイベントがあると、

「いつも! いつメンがそろって来てくれます(笑)。『今日も来てくれて、ありがとう!』という、だからこそ、自分が卒業するってなったときにコロナ禍で、声出し応援ができない中で卒業してしまったのは申し訳なくて……。声が出せなくてもライブはしたい!と思いました。ライブを諦めて卒業していった方もいらっしゃいましたが、“ライブは絶対にしたい!”と言って。当時は、これから先何十年も声出しできない可能性もあると言われていたので、ライブだけでもできてよかったと思うし、その分ライブでもう一回みんなに名前を呼んでもらえる機会も欲しいなと思ってはいたので、ライブで恩返しがしたいとずっと思ってきました」

★女優の道を歩みたいと最初に思ったきっかけは……

--そして今は女優活動を中心に活動されています。

「SKE48に入る前はアイドルが好きだったので、お芝居にあまり触れたことがなかったのですが、SKE48に入って劇場公演に出演して、一公演で十何曲やるんですけど、一曲一曲で違う主人公になるわけじゃないですか。演じるように歌って踊るということが楽しいなと思って、“あ、お芝居をやってみたい”という気持ちが芽生えたのがきっかけでした」

--劇場公演がきっかけだったんですね!

「演じること、自分が自分でなくなることが楽しいと思って、男の子の気持ちになったり、女の子の気持ちになったり、子どもになったり大人になったり、すごく幅広かったので。それがお芝居なんだなと思いました」

--将来の道として女優を考え始めたのは?

「3年目くらいのときに初めて舞台に出させてもらって、お芝居の仕事を重ねていく中で、いつしか卒業したらお芝居ができる人になりたいなと思いました。ずっとアイドルをやりたいなと思う一方で、やっぱりこのグループって絶対卒業がめぐってきますし、自分が卒業する頃には干支が一回り違う子が入ってきて、その子のお母さんのほうが年が近かったりだとか(笑)、『私のお母さん31歳です』とか言われて、『私と3歳しか変わらないの!?』って当時驚いて(笑)、で、“やっぱりやめない”という選択肢がない状態になったときに考えたとき、一人でアイドル活動をするというのは難しいのかなと思って、お芝居の道に本格的に進みたいと思いました。SKE48って歌だけでなく、バラエティ番組に出たり、お芝居もやるし、トーク番組やラジオもやるし、いろんなジャンルの活動が全部好きだったので、女優って肩書きではあるんですけど、マルチにいろんな活動ができたらいいなと思ってました。カメラも好きだし、鳥も好きだし(笑)」

--3年前にSKE48を卒業されて、特に舞台はコンスタントに出演作が続いていますね。

「ありがたいことに、お話をいただけていて」

--女優活動がメインになって変わってきたことなどありますか?

「前は舞台の稽古をしながら、名古屋と東京を行き来し、ライブの内容を覚えて、舞台本番やって、ライブやって、また舞台本番やって……というようなスケジュールもありましたし、あとスケジュール的に全公演じゃなく、Wキャストじゃないと参加できない、短い期間しか稽古に時間が取れないということもあって。今はじっくりと舞台に専念できています。最近はありがたいことにヒロインや主要キャストをやらせていただけて……。コロナ禍に入ってアイドルがうまくできなかった時期に、舞台はいくつかやらせてもらっていたので、そこは救いでした」

--コロナ禍の時期はいろんな葛藤や試行錯誤があったのかもしれません。

「“ああ、仕事がなくなるってこういうことなんだ”という時期も経験して、テレビにリモートじゃないと出られない時期もあったじゃないですか。そういうときって“この仕事って本当に必要なのかな”と考えたこともあったし、アイドル活動で握手会もできなくなったりだとか、ファンの方と面と向かって会える機会が減って、コンサートで声を出して応援できなくなって。最悪の状況を一回見たので……」

--握手会ができないということでは、特に48グループが痛手だったかもしれません。

「コロナ禍に入ったときに仕事がなくなって、やっぱり落ち込むし、ちょっとナーバスになって、毎日“私ってなんなんだろう、これからも仕事やっていけるのかな、このまま一切仕事がなくなったらどうしよう”と思っていたときに、自分が見て元気をもらっていたのがアイドルだったんです。モーニング娘。さんの映像を観たりだとか……」

--自分が好きだった時代の?

「はい、当時のものだったり、そのときの最新のモーニング娘。さんの映像も。あとK-POPのアイドルさんの映像を観たりだとか、私基本的に女の子のアイドルが好きなので、“やっぱり可愛いって元気になれるな!”と思って! ファンの人がいつも『明音ちゃんがいるから元気になれるよ』と言ってくれる言葉ってもちろんうれしかったし、『あ、そうなんだ』と思っていたけど、自分が身をもって“あっ、アイドルって元気になれるんだな!”って感じられたことで、みんなが思ってくれていたことが自分自身の体験と重なり、自分もそうありたいと一層思いました。アイドルって職業だけど、“存在”でもあると思うので、自分がアイドルを卒業しても、私のファンの方の中ではきっと私ってずっとアイドルで、みんなの気持ちを元気にできる存在でありたいなと、改めて思った出来事でした。自分が必要なんだと思わせてくれて……」

--ほかのジャンルの方と比べても、アイドルの仕事をしていると、特にファンの方の顔が見えて、その思いを実感できるのがいいですね。

「そうですよね。アイドル活動を通して直接会える場も多いし、その上でX(Twitter)のリプや配信しているときに書いてくれるコメントには、直接会いに来てくれている方も多く、名前も知っているので“あ、○○さんコメントしてくれてる”って、みんなの顔を思い浮かべられるので、その距離感がアイドルならではなのかなと」

--自分の名前や顔を覚えてもらえるというのはファンとしては嬉しい。

「名前もわかるし、なんなら職業もわかる(笑)。握手会とかでお互いの話とかするので。“実は仕事でこういうことがあって”とか(笑)。“握手会=好きを伝えにくる”というイメージがあると思うんですけど、仲良くなってくると、本当にたわいもない話をするんですよ。“最近仕事でこういう人がいてさ”“そんなこと気にしなくていいよ”って励ましたり(笑)」

--仲間同士の飲み会の会話みたいな(笑)。

「家族より長い時間をともにしている方たちなので、私のことをみんなが一番知っていると思うし、みんなのことも結構知れていたんじゃないかと思います。今も知ってますけど(笑)。これ、ファンとアイドルの関係なのかなって(笑)。友達でもない、普通のファンとアイドルでもない、違うジャンルの関係ができている気がします」

--そして卒業後初のソロコンサートが東京で行われるそうですね。卒業公演で声出し応援をしてもらえなかった分のリベンジも込めて。

「はい、11月に行います!」

--そのときにも、みんな集結してくれそうですね。

「本当に会いたい! 当時、『明音ちゃんが卒業するまでは、オタクをやり続ける』という方もいて……」

--じゃあ、卒業後はオタ卒を?

「私を卒業したというより、オタクを卒業して、結婚してる方も結構いるんです。子どもができて、最近通えなくなったという方もいたり。『やっぱり明音ちゃんのことはずっと好きだよ』って言ってくれるし、『ライブとかあったら行きたい』って言ってくれているので、いろんな事情でちょっと足を運びにくくなった方もこのライブだけはぜひ来てほしいなと思います」

--どんな内容になるかはまだこれから?

「まだこれからですけど、やっぱり卒業コンサートがコロナ禍の中で、声を出して応援してもらうことができなかったので、声を出せるような、あの頃の“胸アツ”な曲もやりたいし、一人のアーティストとしてライブをやる上でカバーできたらいいなと思う楽曲があったりだとか、みんなにアイドルの姿を見せられるし、歌を楽しんでもらえたらいいなと思っています。SKE48のファンの方、あの頃応援してくれていた方、本当にいろんな方が、15周年なんだということで楽しみにして来てくれたら!」

--困難な時期を一緒に乗り越えた濃いファンはもちろん、以前応援しててその後離れた人も「今回15周年だから」ということで観に来るというのもありかも。

「そうですね、本当にいろんな方に来てもらいたいです。でも一番は、今でも一番応援して来てくれている方にまず来てほしいと思います。そして、あの頃好きだった方、あの頃離れてしまったけど“ずっと明音ちゃんのことを応援しているよ”という方とか、なかなか会いに行けないけどライブだと腰が上がる方もいると思うので、そういう方たちも来てくれたらいいなと思います」

--そして女優活動では4月17日から赤坂RED/THEATERでACTORS STAND Vol.1『無垢ども』への出演が決まっています。

「学園ものの作品で、最初キラキラ系の作品かなと思っていたら、全然違っていて(笑)、重いというか、斜めに切り込んだ作品。私の役柄は学校に常駐している臨床心理士で、キャラクター的にもなかなかクセがあるし、出てくるキャラクターがみんなクセが強くて、なかなかカオスな状態なので、これまでやってきた舞台とはまた違った姿をお見せできるのではないかと思います。エイベックスの事務所発の作品で、所属俳優がたくさん出演する舞台になっているので、だからこそできることもあるのかなと思います。楽しんでやれたらいいなと思います」

--キャストには若い役者さんが多いですね。

「今回最年長なんです」

--そういうメンバーだとキラキラ感がある物語と思いきや……。

「恋愛要素もなく(笑)。人と人との関わり、人の面白さを描いている感じで。本当にありそう、というか、そういう人もこれからの時代に出て来そうな、多様性というのもテーマの一つにあって、楽しんでもらえる作品になっていると思います」

--楽しみにしています。今後のご活躍も期待しています!

〈プロフィール〉

高柳明音(たかやなぎ あかね)

1991年11月29日生まれ、愛知県出身。2009年、SKE48二期メンバーオーディションに合格しデビュー。以降中心メンバーとして活躍。2021年4月にSKE48から卒業。以降、女優活動を中心に活動。特にコンスタントに舞台出演を続けている。大の鳥好きとしても知られ、鳥関連の仕事も多い。最新舞台ACTORS STAND Vol.1『無垢ども』は4月17日(水)〜21日(日)、赤坂RED/THEATERで上演。11月24日に卒業後初のソロコンサートを東京で開催予定。

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